パターン化された恐怖
怖い話を書いたり話したりしていると、心無い人から嘲笑されることも多い。やれ「全然怖くない」だの、「どこかで聞いたことある」だの、「あの話のパクりじゃないの?」だの。
書く側からすると「それは言いっこなしだよ!」という気持ちだが、ホラーというジャンルにおいてこのような指摘はしょうがない部分がある。
なぜなら、怖い話やホラー映画は長い歴史の中でパターンが出尽くしてしまっているからだ。たとえば、ホラー映画には以下のような描写がよく用いられる。
- クローゼット・押し入れ・風呂場・トイレなど、少し離れた場所から物音がする。
- 怖がりながらも確かめに行く。
- 意を決して思いっきりドア(もしくは襖)を開けるが、そこには何もいない。
- ホッとして振り返ると、後ろに何かいる。
ホラー映画で散々使われてきた、パターン化された恐怖演出である。恐怖映像を観ていれば観ているほど、怖い話を見聞きしていればしているほど、知らず知らずパターンを覚えてしまっているのだ。
話が長くなってしまったが、そろそろ今回の話に移ろう。
実際に起こる怖い出来事は実にシンプルであり、上述した『あんまり怖くない』『ワンパターン』な話であることが多い。つまり、取って付けたようなオチがないのだ。
閉まらない襖
そこの襖、後ろ手で閉めちゃダメだよ。
学生時代よく坂本の家に遊びに行っていたのだが、1番最初にいただいた注意事項だった。2階へと続く階段の1番上は半畳ほどの踊り場になっており、部屋とは襖で仕切られていた(※簡易図参照)。
図中赤丸部の襖は後ろ手で閉めてはいけず、蒸し暑い日であろうと夜は開けっ放しにしてはいけないという謎ルールがあった。
なんで後ろ手で閉めちゃいけないの?
好奇心に駆られて聞いてみると、「やってみればわかるさ」と、意地悪な顔で言われた。後悔先に立たずというか何というか、坂本の家という時点で怖い体験になるのは明白だったのに、当時の私は単純な思考で後ろ手で閉めることを試してしまった。
グニッ
柔らかいものを挟んだような感触がし、襖は最後まで閉まらなかった。襖に向き直ってみると、子どもの脚や腕ぐらいなら通りそうな数センチの隙間になっていた。ついでにやってみたが、襖を向いた状態で閉めると問題なく最後まで閉まった。
何度か試行した結果、後ろ手で閉めたときだけ最後まで閉まらなかった。いや、後ろ手でも力強く閉めれば最後まで閉まるのだが、まるで「強く閉めないで!」と訴えかけられるような、奇妙な罪悪感が発生するのだ。
何度も実験する私の姿に何か感じるものがあったのか、「もういいだろ?」と呆れた声で止めてきた。
霊感がある人は大体そうなるし、霊感がない人がやってもたまにそうなる。
なんで?
教えない。
怖いながらもかなり気になっていたのだが、彼は教えないと言ったことは絶対に教えない。急いで開け閉めの実験を終え、できるだけ襖から距離があるところに腰を下ろした。
恐怖再来
また別の日、飲み会後に最終バスを逃した私は坂本の家に泊らせてもらうことになった。この頃には襖を後ろ手で閉めることはなくなっており、以前の何か挟んだ感触のことは忘れていた。
特に会話らしい会話もなく、何となくテレビをつけているだけの空間。坂本は私に背を向けて本を読んでおり、私は携帯をいじったりと思い思いに過ごしていた。
トントントントン……
軽快に階段を駆け上がるような音が不意に聴こえてきた。少し驚く私と対照的に、本を読んでいる坂本は微動だにしていない。
気のせいか?
そう思った時だった。
トントントントン……
うん、気のせいじゃないな……
トントントントン……
それからも何度かその音を聴いたのだが、妙なことに気づいた。階段から鳴る音は、下る音は聴こえず、上がってくる音しか聴こえないのだ。そしてその音は、子どもの小さな足が奏でるような音だった。
怖いけど、気になる……
後ろ手だと何かを挟んでしまう襖の怪を思い出した私。もちろん恐怖心もあったが、それよりも好奇心が勝りつつあった。
いよいよ意を決して腰を浮かせた時に、その声は発せられた。
開けない方がいいよ。
こちらを振り向くこともなく、何の抑揚もない声が投げられた。浮かした腰をそのまま下ろし、黙り込む私。こちらを見ていないにも関わらず釘を刺してきた坂本も怖かったが、それよりも「これ以上追及するな」と言われたようで、怖くて何も言えなかった。
後日の考察
数日後の冷静な頭で考えてみた。
「開けない方がいい」と注意した彼は、おそらく過去に開けてしまって何かあったのだろう。そうでないとあの言葉は発せられないはずだ。
開けてしまった彼の身に何があったのか、10年以上経った今でも私は聞けていない。まあ、聞いたところで語ってくれないだろう。
この話はこれで終わりで、よくできたドラマや映画のように、開けた先に恐怖が!なんてオチはない。リアルな日常では恐怖の根源は追求されない。だからこそ、本物の怖い話にはオチがない方が自然なのだと思う。
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