飲み帰りのタクシー
明日休みだし、久しぶりに街の方に飲みに行かね?
金曜日の終業後、坂本は普段から仲良くしている先輩に飲みに誘われた。
新型感染症の影響が懸念される情勢ではあったが、長らく続いていた自粛生活にうんざりしていた坂本は、先輩からの誘いを承諾。
感染症対策が徹底された店で楽しく飲み、遅すぎない時間に店の前で解散した。
歓楽街まで出てきていたので、アパートまでは少し距離がある。
多少の出費は気にしないことにしタクシーで帰ることに決めたが、なかなかタクシー通らなかった。
仕方なくダラダラ歩いていると、程なくしてタクシー乗り場が見えてきた。
タクシーが5台前後待機しており、乗車客の列もない。
待たされずに済むなとホッとしながら、速足で乗り場へと向かった。
しかし、先頭に待機しているタクシーがはっきり見えるほど近づいた時、坂本は足を止めた。いや、止めざるを得なかった。
待機中のタクシーは、原則並んでいる順に乗らないといけない。
早く帰りたい気持ちではあったが、しょうがなく時間を潰すことにした。
だが、コロナ禍のせいで人通りが少なく、10分以上待っても他にタクシーを利用する人は現れなかった。
しょうがない……
これ以上は時間のムダだと思い、覚悟を決めて先頭のタクシーに乗ることにした。
……どちらまで?
××町までお願いします。
振り返ることもせず、陰気な声で尋ねる運転手に車で20分程の距離の自宅の住所を告げると、返事もせずに車が発進された。
運転手の奇行
車内に会話などないばかりか、すぐに異変が起きた。
あの、××町なんですけど?
再度目的地を伝える坂本。
それもそのはず、タクシーは彼のアパートと真逆の方向に走り進んでいたのだ。
しかし運転手は何の反応も示さず、坂本の声など耳に入っていないかのようにそのまま車を走らせ続ける。
止まってください!
絶対道違いますよね!?
何度叫んでみても運転手は無反応だったという。
運転手から少し目を逸らすと、なんと運賃メーターも動いていなかった。
明らかに様子がおかしい運転手に、坂本は乗車したことを後悔した。
やっぱり乗るんじゃなかった……
だが今さら悔いたところどうにもならない。
幸か不幸か運賃メーターは動いていないし、明らかな運転手の異常行動なので、どうとでも逃げ切れるのは間違いなかった。
車内は変わらず無言のまま、しばらくして街から離れた田舎道でタクシーは止まった。
運転手の言い分
やっと止まったけど、ここって……
車窓の向こうを眺めていると、これまで無反応だった運転手がいきなり後部座席の坂本を振り返って言った。
ここ、、、どこですか!!?
は?
意味不明な叫びだったが、運転手はさらに続けた。
あなた誰ですか!?
ここはどこですか!?
パニックを起こした運転手に、坂本はこれまでのことを説明する。
一通り説明し終える頃には、運転手の顔は真っ青になっていた。
まったく記憶がありません……
一般人が聞けば驚愕のセリフだが、坂本は「まあそうだろうな」と溜め息をつくばかりであった。
タクシー乗り場で待機してたのは覚えてるけど、あなたを乗せた記憶はなくて、ここまでの記憶が一切……
運転手は青い顔をして怯えていたが、人間味のあるその顔を見て坂本は逆に安心していた。
なぜなら、タクシー乗り場で待機してた時に視えていた運転手に絡みつく黒い影が消えていたからだ。
タクシー乗り場の先頭のこのタクシーを見たあの時、坂本はすでに確信していた。
運転手に何か憑いている、と。
そう思ったからこそ、このタクシーをやり過ごしたかったのだ。
そして彼は怯えている運転手に追い打ちをかけた。
運転手さん。最近この辺でネコかイヌ、イタチとかかもしれないけど、動物を轢きませんでした?
運転手はさらに顔を青くした。
……どうしてそのことを?
やっぱりね。
車が止まってすぐに気づいたのだが、タクシーが停車した場所は動物にまつわる事故が多い場所だった。
山から下りてきた動物が轢かれて死んでいることも多く、年に数回はイノシシやシカなどの大型動物との接触事故も起きている。
気をつけてくださいね。
坂本の一言に運転手は無言で頷き、ようやっと本来の目的地へとタクシーは走り出した。
一歩間違えれば
一般的に、動物の霊は人に憑きやすいと言われている。
降霊術として有名なコックリさんも、動物霊のような近くにいる低級霊が寄ってくるだけだと過去に坂本が言っていた。
運転手に憑いていた動物の霊が、山に帰りたがっていたのだろうか? 真相はわからない。
だが今回の怖い話を、坂本は笑えもしないジョークで締めくくった。
悪い霊じゃなくてよかったよ。
もしそうだったら、運転手ごと心中させられてたかもしれないしな、ハッハッハッ!
話自体も怖かったが、下手したら命の危険があったかもしれないことを笑いながら話す彼も怖かった。
もしも自分が同じ体験をしたら、こんなに明るく話せはしないだろう。
鳥肌をさすりながら電話を終えようとすると、彼は追い打ちをかけてきた。
タクシーってさ、助手席のとこに運転手の顔写真と名前の紹介とかのプレートがあるじゃん?
ああ、あるな。
待機中に憑かれてた運転手の顔、プレートの顔写真とほとんど別人だったんだよ。
それだけ言い残し、電話は切れられたのであった。
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