最後の夏の思い出
私が中学3年生の時の話だ。
受験勉強に本腰を入れなければならない時期だが、クラスの誰かが言い出した「中学生活最後の思い出作りをしようぜ!」という一言から、1泊2日のキャンプが決行されることになった。
安全面を考慮し、担任教師と数名の保護者が付き添うという、本格的なイベントだ。
受験のプレッシャーから一時的に解放された私たちは、その夜、異様なほどの熱気で盛り上がっていた。
「21時から肝試しをするから、それまでは自由時間で!」
手作りカレーを食べ終え、辺りが暗闇に包まれ始めた頃、リーダー格の男子が声を張り上げた。 地図と懐中電灯を受け取り、数人のグループに分かれて出発する。コースの途中には、脅かし役の保護者がスタンバイしているという。
「親たちもノリノリらしいぞ。2人1組で隠れてるってさ」
そんな友人の言葉を聞きながら、私のグループは男子2人、女子3人の計5人で、懐中電灯の細い光だけを頼りに森の中へ足を踏み入れた。
先行したグループの悲鳴が、遠くの闇から断続的に聞こえてくる。 それが余計に恐怖心を煽った。
「うわっ!!」 「キャーー!!」
要所要所で、お面をかぶった保護者が茂みから飛び出してくる。 最初は驚いたものの、相手が知っている大人の顔だとわかると、安堵と笑いが漏れる。
「この先、砂利道だから気を付けてねー」
脅かし終わった保護者のそんな生活感のある声に、私たちは完全に油断していた。
そうして順調に進み、間もなくゴール地点という場所までやってきた。
そこだった。
林の中に、誰かが立っていた。
それまでの保護者たちは、「ワッ!」と大声を出したり、コミカルな動きで驚かせてきたりした。 しかし、その人影は違った。
木々の暗がりに紛れ、微動だにせず、ただぼんやりとこちらを向いて佇んでいる。
顔はお面をつけているのか、それとも影なのか、暗くてよく見えない。
「……ッ!!」
不意に風が吹き、木々がザワザワと音を立てて揺れた瞬間、その人影との距離がグッと近づいたように感じた。 全身の毛穴が収縮するような悪寒が走る。
「うおっ……」
あまりの不気味さに声を上げた直後、私の意識はそこでプツリと途切れた。
「大丈夫? 聞こえる?」
目を覚ますと、私はロッジの長椅子に寝かされていた。 覗き込む担任教師の顔がやけに焦っている。
「ゴール地点に着いた瞬間に、いきなり君が倒れたのよ。貧血?」
「あ、はい……すみません、少し寝不足で」
心配をかけまいと嘘をついたが、頭はガンガンと痛んでいた。 時計を見ると、肝試し終了から1時間は経っている。
私は外の空気を吸おうと、ふらつく足でロッジの入り口へ向かった。 そこで、異様な光景を目にした。
外のベンチで、脅かし役を終えた保護者たちが数名、深刻な顔で話し込んでいたのだ。 キャンプの楽しい雰囲気など微塵もない。張り詰めた空気だった。
「お疲れ様でした。さっきはすみません……」
私が声をかけると、全員がビクリと肩を震わせて振り返った。
「あ、あら視世くん。大丈夫だった……?」
1番仲の良い友人の母親が声をかけてくれたが、その顔は引きつっている。
「もう大丈夫です。……それより、何かあったんですか?」
私の問いかけに、大人たちは顔を見合わせた。
言おうか言うまいか迷っている、そんな沈黙が流れた後、1人の保護者が意を決したように口を開いた。
「実はね……さっき子ども達に『どこが1番怖かった?』って聞いて回ってたの」
保護者たちは、私が倒れた原因を探ろうとしていたらしい。
「そしたら、みんな口を揃えて言ったのよ。 『ゴール直前の、林の中に立ってた人が1番怖かった』って」
私の背筋に冷たいものが走る。やはり、あれを見たのは私だけじゃなかったのだ。
「……やっぱり。俺も、そこで気を失ったんです。あの人、動きもしないし声も出さないから、逆に不気味で」
私がそう言うと、保護者の母親は真っ青な顔で首を横に振った。
「あの場所には、誰も配置していなかったのよ」
え、と言葉を失う私に、彼女は震える声で続けた。
「脅かし役は全員、安全のために『2人1組』で配置してたの。あそこだけ1人で立ってたでしょう? それに、私たちはみんなお面や衣装を用意してたけど、あそこにいたのは……」
そこから先は言わなかった。 ただ、そこにいた全員が理解していた。
ゴール直前の林の中。 私たちを見つめていた「あれ」は、保護者でも、人間でもなかったのだと。
「……この話、子供たちには内緒にしておこうって決めたの。せっかくの最後の思い出だから」
縋るような目で言われ、私は無言で頷くしかなかった。
中学を卒業して20年以上が経つ。 約束通り、私はこの話を当時の同級生には一度も話していない。
あの夜、楽しいはずのキャンプ場に紛れ込んでいた「招待客」の正体を知っているのは、あの場にいた数名の大人と、私だけだ。


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